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伝説への登山
石の祠
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一歩、足を入れた。ぱしゃっと水がはねる音が大きくひびく。足元には細く川がながれていた。千曲川(ちくまがわ)の源流(げんりゅう:川や水のながれが始まる場所)だ。そして、それは洞窟(どうくつ)の奥からながれている。
懐中電灯(かいちゅうでんとう:手に持って使う小さいライト)を出して、ベレンは中をてらした。
言い伝えによると、洞窟はそんなにふかくはないようだった。それでも奥は見えない。
てんじょうが低い洞窟を、ベレンはかがみながら本当にゆっくりとすすんでいく。洞窟は少しだけ登りながら右方向にまがっているようだった。かべにさわると、しめっていた。かべにそって、少しの明かりをたよりに、一歩ずつゆっくりすすむ。20メートルくらいすすむと、急に広い場所に出た。
「…わあ…」
思わずそう声を出した。声が大きくひびいた。
10m四方ほどのその空間には中央に大きな池がある。そこから細く水がながれだしている。そして、池のほとりには古いほこらが建っていた。
そのほこらは1メートル四方くらいのとても小さいもので、でも洞窟の中にあったので、ほとんどこわれていなかった。かたい花崗岩(かこうがん:とてもかたい石)をけずって作ったようで、角は少しまるくなっていたけれど、かたちはほとんどそのままだった。中はくりぬかれているらしく、手前に小さな木の戸がついている。でんせつが正しいのなら、この中にうつわがあるはずだ。
ベレンはそっと戸に手をかけた。こわさないように気をつけて、とてもゆっくりと戸を外すと、中に手のひらくらいの小さなうつわがあった。ほこらで作られたと思われるそのうつわは、長い時間がたっているのにまったくさびておらず、懐中電灯の光でてらすと、赤茶色に静かにひかった。
しんぞうが今までで一番強く動いているのがわかった。山を登ってきたとちゅうでさえこんなことはなかった。言いつたえが本当なら、ベレンは今、ねがいを一つかなえることができるのだ。
将来のこと、恋、自分のせいかくのこと…いろいろななやみやねがいがうかんでは消えていった。もう何をねがえばいいのかもわからなかった。気持ちをおちつけようと、ほこらの周囲をくるりと歩いた。そして、ほこらの後ろに小さく文がきざんであるのを見つけた。ほとんどかすれてしまっていたが、何とかひだりはしの4文字だけは読むことができた。
『養老元年(ようろうがんねん)』
養老(ようろう)…っていつだったか…ベレンは大学の日本史のじゅぎょうを思い出した。そして、びっくりした。せいれきに直すと養老元年は717年だ。今から1300年も前、気がとおくなるような昔だった。そんな昔から、このほこらは、このうつわは、ずっとまもられてきたというのか。そして、このほこらを作った昔の女性のことを考えた。その人は1300年前にこの山のふもとで子をうみ、そだて、そしてつぎの世代へとかたりついだのだろう。自分のいのちを助けた神様の話を。
ベレンはもう全身の力がぬけてしまった。これはもう、簡単に使えるものではない。きっと私がやるべきことは、この言いつたえをいつかだれかにつたえ、つなげることなのだ。もしかしたら、1300年の間には初代以外にもここまでたどりついた人がいたかもしれない。しかしうつわは使わなかっただろうと思う。きっとベレンと同じように、時のながれとこのほこらがのこっていることのすごさにあっとうされ、そしてそんけいの気持ちをこめて、つぎの世代へとつたえたのだ。
ベレンは気をつけて木の戸にふれると、静かに閉めた。ほこらのうつわには、ついにふれることはなかった。
その後、洞窟を出たベレンは登山道に戻って山頂(さんちょう)まで登った。洞窟から山頂まではいがいにも近かった。けしきとたっせいかんを少し楽しんだ後、日がしずむ前に山を下り、川上村の宿で一泊して、つぎの朝に下諏訪(しもすわ)に帰った。
懐中電灯(かいちゅうでんとう:手に持って使う小さいライト)を出して、ベレンは中をてらした。
言い伝えによると、洞窟はそんなにふかくはないようだった。それでも奥は見えない。
てんじょうが低い洞窟を、ベレンはかがみながら本当にゆっくりとすすんでいく。洞窟は少しだけ登りながら右方向にまがっているようだった。かべにさわると、しめっていた。かべにそって、少しの明かりをたよりに、一歩ずつゆっくりすすむ。20メートルくらいすすむと、急に広い場所に出た。
「…わあ…」
思わずそう声を出した。声が大きくひびいた。
10m四方ほどのその空間には中央に大きな池がある。そこから細く水がながれだしている。そして、池のほとりには古いほこらが建っていた。
そのほこらは1メートル四方くらいのとても小さいもので、でも洞窟の中にあったので、ほとんどこわれていなかった。かたい花崗岩(かこうがん:とてもかたい石)をけずって作ったようで、角は少しまるくなっていたけれど、かたちはほとんどそのままだった。中はくりぬかれているらしく、手前に小さな木の戸がついている。でんせつが正しいのなら、この中にうつわがあるはずだ。
ベレンはそっと戸に手をかけた。こわさないように気をつけて、とてもゆっくりと戸を外すと、中に手のひらくらいの小さなうつわがあった。ほこらで作られたと思われるそのうつわは、長い時間がたっているのにまったくさびておらず、懐中電灯の光でてらすと、赤茶色に静かにひかった。
しんぞうが今までで一番強く動いているのがわかった。山を登ってきたとちゅうでさえこんなことはなかった。言いつたえが本当なら、ベレンは今、ねがいを一つかなえることができるのだ。
将来のこと、恋、自分のせいかくのこと…いろいろななやみやねがいがうかんでは消えていった。もう何をねがえばいいのかもわからなかった。気持ちをおちつけようと、ほこらの周囲をくるりと歩いた。そして、ほこらの後ろに小さく文がきざんであるのを見つけた。ほとんどかすれてしまっていたが、何とかひだりはしの4文字だけは読むことができた。
『養老元年(ようろうがんねん)』
養老(ようろう)…っていつだったか…ベレンは大学の日本史のじゅぎょうを思い出した。そして、びっくりした。せいれきに直すと養老元年は717年だ。今から1300年も前、気がとおくなるような昔だった。そんな昔から、このほこらは、このうつわは、ずっとまもられてきたというのか。そして、このほこらを作った昔の女性のことを考えた。その人は1300年前にこの山のふもとで子をうみ、そだて、そしてつぎの世代へとかたりついだのだろう。自分のいのちを助けた神様の話を。
ベレンはもう全身の力がぬけてしまった。これはもう、簡単に使えるものではない。きっと私がやるべきことは、この言いつたえをいつかだれかにつたえ、つなげることなのだ。もしかしたら、1300年の間には初代以外にもここまでたどりついた人がいたかもしれない。しかしうつわは使わなかっただろうと思う。きっとベレンと同じように、時のながれとこのほこらがのこっていることのすごさにあっとうされ、そしてそんけいの気持ちをこめて、つぎの世代へとつたえたのだ。
ベレンは気をつけて木の戸にふれると、静かに閉めた。ほこらのうつわには、ついにふれることはなかった。
その後、洞窟を出たベレンは登山道に戻って山頂(さんちょう)まで登った。洞窟から山頂まではいがいにも近かった。けしきとたっせいかんを少し楽しんだ後、日がしずむ前に山を下り、川上村の宿で一泊して、つぎの朝に下諏訪(しもすわ)に帰った。
一歩、踏み入れた。ぱしゃりと水が跳ねる音が大きく反響する。足元には細く川が流れていた。千曲川の源流だ。そして、それは洞窟の奥から流れている。
懐中電灯を取り出すと、ベレンは奥を照らした。
言い伝えによると、洞窟はそんなに深くはないようだった。それでも奥は見えない。
天井が低い洞窟を、ベレンはかがみながら本当にゆっくりと進んでいく。洞窟は少しだけ登りながら右方向に曲がっているようだった。壁に触れると、しっとりと湿っていた。壁伝いに、僅かな明かりを頼りにしながら一歩一歩慎重に進む。20mほど進むと、不意に広い空間に出た。
「…わあ…」
思わずそう声を出した。声が大きく反響した。
10m四方ほどのその空間には中央に大きな池がある。そこから細く水が流れだしている。そして、池のほとりには古い祠が建っていた。
その祠は1m四方ほどの本当に小さなもので、しかし洞窟の中にあったからか殆ど傷んでいなかった。硬い花崗岩を削って作られたものらしく、角はやや丸くなっていたものの、原形をよく留めていた。中はくり抜かれているらしく、手前に小さな木の戸がついている。伝説が正しいのなら、この中に器があるはずだ。
ベレンはそっと戸に手をかけた。壊さないように慎重に、本当にゆっくりと戸を外すと、中には掌ほどの、小さな器があった。銅製と思われるその器は、長い年月が経っているにも関わらず全く錆びてはおらず、懐中電灯の光で照らすと鈍く赤銅色に輝いた。
心臓が今までにないほどに激しく動くのが判った。山を登ってきた途中でさえこんなことはなかった。言い伝えが本当なら、ベレンは今、願いを一つ叶えることが出来るのだ。
将来のこと、恋、自身の性格のこと…様々な悩みや願いが浮かんでは消えた。最早何を願ったらいいのかもわからなかった。気持ちを落ち着けようと、祠の周囲をくるりと歩いた。そして、祠の後ろに小さく文が刻んであるのを見つけた。殆どかすれてしまっていたが、何とか左端の4文字だけは読むことができた。
『養老元年』
養老…っていつだったか…ベレンは大学の日本史の授業を思い出した。そして、愕然とした。西暦に直すと養老元年は717年だ。今から1300年も前、気が遠くなるような大昔だった。そんな太古の昔から、この祠は、この器は、ずっと守られてきたというのか。そして、この祠を建てた遥か昔の女性のことを考えた。その人は1300年前にこの山の麓で子を産み、育て、そして次の世代へと語り継いだのだろう。自らの命を助けた神様の話を。
ベレンはもう全身の力が抜けてしまった。これはもう、おいそれと使えるものではない。きっと私がすべきことは、この言い伝えをいつか誰かに語り継ぎ、繋ぐことなのだ。もしかしたら、1300年の間には初代以外にもここまでたどり着いた人がいたかもしれない。しかし器は使わなかっただろうと思う。きっとベレンと同じように、時の流れとこの祠が残っていることの偉大さに圧倒され、そして畏敬の念を込めてまた次の世代へと語り継いだのだ。
ベレンは慎重に木の戸を触ると、そっと閉めた。銅の器には、ついに触れることはなかった。
その後、洞窟を出たベレンは登山道に戻って山頂まで登った。洞窟から山頂までは意外にも近かった。景色と達成感を味わうのもほどほどに、日が沈む前に下山して、川上村の宿で一泊し、次の日の朝に下諏訪に帰った。
懐中電灯を取り出すと、ベレンは奥を照らした。
言い伝えによると、洞窟はそんなに深くはないようだった。それでも奥は見えない。
天井が低い洞窟を、ベレンはかがみながら本当にゆっくりと進んでいく。洞窟は少しだけ登りながら右方向に曲がっているようだった。壁に触れると、しっとりと湿っていた。壁伝いに、僅かな明かりを頼りにしながら一歩一歩慎重に進む。20mほど進むと、不意に広い空間に出た。
「…わあ…」
思わずそう声を出した。声が大きく反響した。
10m四方ほどのその空間には中央に大きな池がある。そこから細く水が流れだしている。そして、池のほとりには古い祠が建っていた。
その祠は1m四方ほどの本当に小さなもので、しかし洞窟の中にあったからか殆ど傷んでいなかった。硬い花崗岩を削って作られたものらしく、角はやや丸くなっていたものの、原形をよく留めていた。中はくり抜かれているらしく、手前に小さな木の戸がついている。伝説が正しいのなら、この中に器があるはずだ。
ベレンはそっと戸に手をかけた。壊さないように慎重に、本当にゆっくりと戸を外すと、中には掌ほどの、小さな器があった。銅製と思われるその器は、長い年月が経っているにも関わらず全く錆びてはおらず、懐中電灯の光で照らすと鈍く赤銅色に輝いた。
心臓が今までにないほどに激しく動くのが判った。山を登ってきた途中でさえこんなことはなかった。言い伝えが本当なら、ベレンは今、願いを一つ叶えることが出来るのだ。
将来のこと、恋、自身の性格のこと…様々な悩みや願いが浮かんでは消えた。最早何を願ったらいいのかもわからなかった。気持ちを落ち着けようと、祠の周囲をくるりと歩いた。そして、祠の後ろに小さく文が刻んであるのを見つけた。殆どかすれてしまっていたが、何とか左端の4文字だけは読むことができた。
『養老元年』
養老…っていつだったか…ベレンは大学の日本史の授業を思い出した。そして、愕然とした。西暦に直すと養老元年は717年だ。今から1300年も前、気が遠くなるような大昔だった。そんな太古の昔から、この祠は、この器は、ずっと守られてきたというのか。そして、この祠を建てた遥か昔の女性のことを考えた。その人は1300年前にこの山の麓で子を産み、育て、そして次の世代へと語り継いだのだろう。自らの命を助けた神様の話を。
ベレンはもう全身の力が抜けてしまった。これはもう、おいそれと使えるものではない。きっと私がすべきことは、この言い伝えをいつか誰かに語り継ぎ、繋ぐことなのだ。もしかしたら、1300年の間には初代以外にもここまでたどり着いた人がいたかもしれない。しかし器は使わなかっただろうと思う。きっとベレンと同じように、時の流れとこの祠が残っていることの偉大さに圧倒され、そして畏敬の念を込めてまた次の世代へと語り継いだのだ。
ベレンは慎重に木の戸を触ると、そっと閉めた。銅の器には、ついに触れることはなかった。
その後、洞窟を出たベレンは登山道に戻って山頂まで登った。洞窟から山頂までは意外にも近かった。景色と達成感を味わうのもほどほどに、日が沈む前に下山して、川上村の宿で一泊し、次の日の朝に下諏訪に帰った。