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神の棲む街
上社と龍
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次の日、昨日と同じように蓮の自慢のバイクに乗ってベレンは諏訪大社上社に向かった。
まだ少し怖いが、バイクの速いスピードにも慣れてきて蓮の話を聞く余裕もあった。
「…で、昨日の続きなんだけど!」
蓮が楽しそうに話し始める。
「これから行く上社前宮は、他の三社とは少し違った感じの神社なの」
「違う?」
「うーん、説明が少し複雑になるんだけど、そうね、ざっくり言うと、諏訪信仰の始まりの場所、なのよ。それに、神社自体もちょっと独特で…まあ見た方が早いかもね」
景色とスピードを楽しみながら、二人は諏訪大社上社の一つ、前宮に向かった。
上社前宮は宿から7kmほど南に行った、山の真ん中にある神社だ。国道ぞいの大鳥居からは、二人は歩くことにした。
地図アプリを見ながらベレンが言う。
「少し遠いのですね。それに、鳥居をくぐった先も神社の敷地というよりは普通の村のような感じです」
「そうね、上社前宮は少し変っているの。普通は神社にまとめられている鳥居や手水所、社務所も村の中に置かれているのよ」
大鳥居や社務所を通ったときにはもう神社の中に入ったかと思ったが、その先ではまた昔ながらの家が並んでいる。神社の中に村があるかのような、村が神社そのものかのような、不思議な気分になった。
「ここは諏訪信仰が始まった地と言われているのよ。ミシャグジ、と呼ばれる昔の信仰とも関係があると言われていて、諏訪大社の中で最も古い場所なの」
「古く、とは、どのくらいですか?」
「それはよくわからないの。でも、少なくとも7世紀には諏訪は全国から信者を集めていたとされているから、それよりはずっと前からあるのでしょうね」
「それは…気の遠くなるような昔ですね」
「前宮が村と入り混じっているのは、当時の人々にとって神様や信仰がずっと身近なものだったことの表れかもしれないね」
蓮がだれに言うでもなく言った。
「着いた!ここが前宮よ」
「思ったよりも、その、こじんまりとしていますね」
ベレンはしんちょうに言葉を選びながら言った。
小さいわけではないが、昨日の春宮や秋宮に比べるとかざりも少なくやや地味な印象だ。
「まあ、地味でぱっとしないわね。それは仕方ないわ。ここは諏訪信仰の始まりの地だけれど、上社本宮よりは序列としても落ちるものなの。下社の春宮、秋宮は同格の社だけど、上社は本宮と前宮で各の差があるのよ。でも、諏訪信仰始まりの地ということもあって地域の人々にはすごく大切にされているのがわかるでしょう?これは大昔に諏訪信仰が始まったころから途切れなく受けつがれてきたものなの。それを知ってほしくて連れてきたのよ」
二人は大昔から続く諏訪信仰と当時の人々のことを想像しながら、静かに参拝を済ませた。
「次は?どこに向かいますか?」
駐車場でホットコーヒーの缶を開けながらベレンがたずねる。
立ち昇る湯気の向こう側で蓮がにっこりと笑った。
「決まっているでしょ?次は期待していた上社本宮よ。ここから2kmくらいのきょりなの。と、その前に…」
そこまで言いかけて、蓮とベレンのお腹から「ぐぅ…」と音が鳴った。
恥ずかしそうに蓮が頭をかく。
「…言いたいことはわかるわね。お昼ご飯食べましょう!何か食べたいものはある?」
「そうですね…おすすめのお店とか、ありますか?」
「『勝味庵』は私がこのあたりで一番美味しいと思うお店。大学生にとっては少しだけいい値段するけど…でも、味は最高!間違いないわ」
二人は蓮がおすすめするとんかつ屋に向かった。
店に到着して、席に通されると、蓮がすばやく注文する。
しばらくして出てきたとんかつはサクサクで厚みがあって、一口ごとに幸せを食べているようだった。
「美味しい!」
「でしょ~!」
蓮もうれしそうにはしを動かし、みそしるを飲む。
「寒い日に暖かいものを飲むと落ち着くよね~しっかり食べて、体温めてから本宮に向かおう」
「そうですね」
二人はみそしるとご飯をお代わりして(勝味庵はお代わりが無料なのだ!)、再びバイクに乗った。
「着いた!ここが四社ある諏訪大社の最後の一つにして全国一万以上の諏訪神社の総本社神社、上社本宮よ!」
それは守屋山の下に位置し、森と一続きになったかのような広くて大きい神社だった。
「上社本宮は太古から残る守屋山に包まれるように建てられているの。守屋山は山そのものが神せいなものとされているのよ」
「山が…そう大な話ですね」
「そうね。じゃ、参拝しに行きましょう」
大鳥居を通り、石でできた道を歩く。この道もその先の石でできた階段も今までの三社よりも大きくて立派なものだ。
階段を上るとごうかな門に突き当たる。
「ええと、参拝する道順は右ね」
そのまま道順通りに進むと、宝物殿や参拝所がある開けた場所にたどり着いた。
ぐるりと森に囲まれていて、まさに森の中の神社といった感じだ。
蓮もベレンもあまりしゃべらなくなり、何も話さないまま一番奥の参拝所にただり着いた。
蓮が気まずい様子で話す。
「…ここに来ると、なんだかおそれ多いような気分になってだまっちゃうのよね」
「ちょっとだけ、わかります。しんぴ的?というのでしょうか」
「そう。なんだか、他の神社とは違うっていうか…うまく言葉にできないけれど。でも、今日はガイドで来たから説明するね。ここでまつられているのはタケミナカタノ神。軍神であり、しゅりょう・耕作の神様であり、風・水を支配するりゅうの神様でもあるの。昔は出雲、今の島根県にいたのだけれど、わけあってこちらに移ってきて、下社のヤサカトメノ神と結ばれたのよ」
参拝所からは大きくごうかな建物が正面から見える。金のかざりが付けられており、左右にも建物が並んでいる。今までの三社にないそうごんさを感じた。
「ここは約400年前の戦いの際に火事で一度なくなってしまって、江戸時代に再建されたの。焼かれる前はとてもあざやかな色だったと言われているのよ」
今までの三社とは少し違うふん囲気に包まれた本宮で、二人は静かに参拝した。
(そうだ、手紙!)
目を閉じて参拝していたベレンは、頼まれた手紙のことを思い出した。あわてて取り出して参拝所のわきにそっと置いた。
「…?」
そこで、となりにいたはずの蓮がいないことに気づく。
「蓮…?」
蓮だけではない。先ほどまで近くにいたはずのすうにんの参拝客がだれもいない。
周りにはきりが出てきた。と、きりの中から声がする。
『下社からの遣いか?』
突然強い風が吹いて手紙はきりの中、建物の方へと吸い込まれていく。
「あ…!」
『ふふ、あやつからの手紙、確かに受け取った。異国の娘よ、大変ご苦労だったね』
きりが晴れる。
前には、一匹の大きな白いりゅうが立っていた。
長いひげと美しいうろこ、青い目をもっている。
「……!」
おどろきすぎて言葉が出ないベレンの前で、りゅうは低い声で話し続ける。一言発する度に周囲の空気が震えるのがわかった。
『私はタケミナカタノ神。諏訪の神だ。この度は妻のわがままでふり回してすまなかったな』
固まったままのベレンを見て、りゅうはふと気づいた様に少し笑って、
『このすがたではおどろかせてしまったか。これなら良いかな?』
再びきりが出てきたかと思うと、その中から背の高い若い男の人が出てきた。青い浴衣を着ている。右手には手紙がにぎられていた。
「まあ、そういうわけだ」
ニコニコと笑っている。
ベレンはようやく言葉をやっと出せた。
「…えっと、か、神様、なのですか?」
「いかにも。自分で言うと照れるがね」
「下社で出会った浴衣すがたの女の人、の、彼氏さん?」
「うん、彼女は私の妻、ヤサカトメノ神だな」
もはや何が何だか、何から聞いたらいいのかわからない。
「…手紙には、なんて書かれていたのですか?」
(うわ!失敗した!)
たずねてから、ベレンははげしく後かいした。どう考えても神様にたずねることではない。混乱していたのだ。
「ふふ、最初にきくことがそれか」
彼は静かに笑った後、答えた。
「まあ、なんだ、『あいたい』みたいな内容だ」
言ってから少しだけ顔を赤くしている。ほおをかき、そのまま独り言のようにつぶやく。
「確かにここ最近はあえていなかったからなあ…しばらく顔を出さなかったらちょっとだけ会うのが恥ずかしくなっていたのだ。ほら、何というか……やっぱり、あいに行った方がいいかな?」
私にきかれても…そう思いながらも、人間じみた仕草にベレンは少しきんちょうを減らした。
「それは、あいに行ってあげた方がいいと思います。彼女さん、寂しがっていましたよ」
「そうだよなあ…うん、やはり今年はあいに行ってくる。異国の娘よ、色々と世話になったね」
タケミナカタノ神だという彼は、少し恥ずかしそうに笑った。
神様の背中を押すことになろうとは…現実なのか夢なのか、まだよくわからないままだ。
三度、周りにきりが出てきた。真っ白で何も見えない。
きりが晴れると、となりでは蓮がまだ目を閉じて一生懸命に願い事をしていた。
まだ少し怖いが、バイクの速いスピードにも慣れてきて蓮の話を聞く余裕もあった。
「…で、昨日の続きなんだけど!」
蓮が楽しそうに話し始める。
「これから行く上社前宮は、他の三社とは少し違った感じの神社なの」
「違う?」
「うーん、説明が少し複雑になるんだけど、そうね、ざっくり言うと、諏訪信仰の始まりの場所、なのよ。それに、神社自体もちょっと独特で…まあ見た方が早いかもね」
景色とスピードを楽しみながら、二人は諏訪大社上社の一つ、前宮に向かった。
上社前宮は宿から7kmほど南に行った、山の真ん中にある神社だ。国道ぞいの大鳥居からは、二人は歩くことにした。
地図アプリを見ながらベレンが言う。
「少し遠いのですね。それに、鳥居をくぐった先も神社の敷地というよりは普通の村のような感じです」
「そうね、上社前宮は少し変っているの。普通は神社にまとめられている鳥居や手水所、社務所も村の中に置かれているのよ」
大鳥居や社務所を通ったときにはもう神社の中に入ったかと思ったが、その先ではまた昔ながらの家が並んでいる。神社の中に村があるかのような、村が神社そのものかのような、不思議な気分になった。
「ここは諏訪信仰が始まった地と言われているのよ。ミシャグジ、と呼ばれる昔の信仰とも関係があると言われていて、諏訪大社の中で最も古い場所なの」
「古く、とは、どのくらいですか?」
「それはよくわからないの。でも、少なくとも7世紀には諏訪は全国から信者を集めていたとされているから、それよりはずっと前からあるのでしょうね」
「それは…気の遠くなるような昔ですね」
「前宮が村と入り混じっているのは、当時の人々にとって神様や信仰がずっと身近なものだったことの表れかもしれないね」
蓮がだれに言うでもなく言った。
「着いた!ここが前宮よ」
「思ったよりも、その、こじんまりとしていますね」
ベレンはしんちょうに言葉を選びながら言った。
小さいわけではないが、昨日の春宮や秋宮に比べるとかざりも少なくやや地味な印象だ。
「まあ、地味でぱっとしないわね。それは仕方ないわ。ここは諏訪信仰の始まりの地だけれど、上社本宮よりは序列としても落ちるものなの。下社の春宮、秋宮は同格の社だけど、上社は本宮と前宮で各の差があるのよ。でも、諏訪信仰始まりの地ということもあって地域の人々にはすごく大切にされているのがわかるでしょう?これは大昔に諏訪信仰が始まったころから途切れなく受けつがれてきたものなの。それを知ってほしくて連れてきたのよ」
二人は大昔から続く諏訪信仰と当時の人々のことを想像しながら、静かに参拝を済ませた。
「次は?どこに向かいますか?」
駐車場でホットコーヒーの缶を開けながらベレンがたずねる。
立ち昇る湯気の向こう側で蓮がにっこりと笑った。
「決まっているでしょ?次は期待していた上社本宮よ。ここから2kmくらいのきょりなの。と、その前に…」
そこまで言いかけて、蓮とベレンのお腹から「ぐぅ…」と音が鳴った。
恥ずかしそうに蓮が頭をかく。
「…言いたいことはわかるわね。お昼ご飯食べましょう!何か食べたいものはある?」
「そうですね…おすすめのお店とか、ありますか?」
「『勝味庵』は私がこのあたりで一番美味しいと思うお店。大学生にとっては少しだけいい値段するけど…でも、味は最高!間違いないわ」
二人は蓮がおすすめするとんかつ屋に向かった。
店に到着して、席に通されると、蓮がすばやく注文する。
しばらくして出てきたとんかつはサクサクで厚みがあって、一口ごとに幸せを食べているようだった。
「美味しい!」
「でしょ~!」
蓮もうれしそうにはしを動かし、みそしるを飲む。
「寒い日に暖かいものを飲むと落ち着くよね~しっかり食べて、体温めてから本宮に向かおう」
「そうですね」
二人はみそしるとご飯をお代わりして(勝味庵はお代わりが無料なのだ!)、再びバイクに乗った。
「着いた!ここが四社ある諏訪大社の最後の一つにして全国一万以上の諏訪神社の総本社神社、上社本宮よ!」
それは守屋山の下に位置し、森と一続きになったかのような広くて大きい神社だった。
「上社本宮は太古から残る守屋山に包まれるように建てられているの。守屋山は山そのものが神せいなものとされているのよ」
「山が…そう大な話ですね」
「そうね。じゃ、参拝しに行きましょう」
大鳥居を通り、石でできた道を歩く。この道もその先の石でできた階段も今までの三社よりも大きくて立派なものだ。
階段を上るとごうかな門に突き当たる。
「ええと、参拝する道順は右ね」
そのまま道順通りに進むと、宝物殿や参拝所がある開けた場所にたどり着いた。
ぐるりと森に囲まれていて、まさに森の中の神社といった感じだ。
蓮もベレンもあまりしゃべらなくなり、何も話さないまま一番奥の参拝所にただり着いた。
蓮が気まずい様子で話す。
「…ここに来ると、なんだかおそれ多いような気分になってだまっちゃうのよね」
「ちょっとだけ、わかります。しんぴ的?というのでしょうか」
「そう。なんだか、他の神社とは違うっていうか…うまく言葉にできないけれど。でも、今日はガイドで来たから説明するね。ここでまつられているのはタケミナカタノ神。軍神であり、しゅりょう・耕作の神様であり、風・水を支配するりゅうの神様でもあるの。昔は出雲、今の島根県にいたのだけれど、わけあってこちらに移ってきて、下社のヤサカトメノ神と結ばれたのよ」
参拝所からは大きくごうかな建物が正面から見える。金のかざりが付けられており、左右にも建物が並んでいる。今までの三社にないそうごんさを感じた。
「ここは約400年前の戦いの際に火事で一度なくなってしまって、江戸時代に再建されたの。焼かれる前はとてもあざやかな色だったと言われているのよ」
今までの三社とは少し違うふん囲気に包まれた本宮で、二人は静かに参拝した。
(そうだ、手紙!)
目を閉じて参拝していたベレンは、頼まれた手紙のことを思い出した。あわてて取り出して参拝所のわきにそっと置いた。
「…?」
そこで、となりにいたはずの蓮がいないことに気づく。
「蓮…?」
蓮だけではない。先ほどまで近くにいたはずのすうにんの参拝客がだれもいない。
周りにはきりが出てきた。と、きりの中から声がする。
『下社からの遣いか?』
突然強い風が吹いて手紙はきりの中、建物の方へと吸い込まれていく。
「あ…!」
『ふふ、あやつからの手紙、確かに受け取った。異国の娘よ、大変ご苦労だったね』
きりが晴れる。
前には、一匹の大きな白いりゅうが立っていた。
長いひげと美しいうろこ、青い目をもっている。
「……!」
おどろきすぎて言葉が出ないベレンの前で、りゅうは低い声で話し続ける。一言発する度に周囲の空気が震えるのがわかった。
『私はタケミナカタノ神。諏訪の神だ。この度は妻のわがままでふり回してすまなかったな』
固まったままのベレンを見て、りゅうはふと気づいた様に少し笑って、
『このすがたではおどろかせてしまったか。これなら良いかな?』
再びきりが出てきたかと思うと、その中から背の高い若い男の人が出てきた。青い浴衣を着ている。右手には手紙がにぎられていた。
「まあ、そういうわけだ」
ニコニコと笑っている。
ベレンはようやく言葉をやっと出せた。
「…えっと、か、神様、なのですか?」
「いかにも。自分で言うと照れるがね」
「下社で出会った浴衣すがたの女の人、の、彼氏さん?」
「うん、彼女は私の妻、ヤサカトメノ神だな」
もはや何が何だか、何から聞いたらいいのかわからない。
「…手紙には、なんて書かれていたのですか?」
(うわ!失敗した!)
たずねてから、ベレンははげしく後かいした。どう考えても神様にたずねることではない。混乱していたのだ。
「ふふ、最初にきくことがそれか」
彼は静かに笑った後、答えた。
「まあ、なんだ、『あいたい』みたいな内容だ」
言ってから少しだけ顔を赤くしている。ほおをかき、そのまま独り言のようにつぶやく。
「確かにここ最近はあえていなかったからなあ…しばらく顔を出さなかったらちょっとだけ会うのが恥ずかしくなっていたのだ。ほら、何というか……やっぱり、あいに行った方がいいかな?」
私にきかれても…そう思いながらも、人間じみた仕草にベレンは少しきんちょうを減らした。
「それは、あいに行ってあげた方がいいと思います。彼女さん、寂しがっていましたよ」
「そうだよなあ…うん、やはり今年はあいに行ってくる。異国の娘よ、色々と世話になったね」
タケミナカタノ神だという彼は、少し恥ずかしそうに笑った。
神様の背中を押すことになろうとは…現実なのか夢なのか、まだよくわからないままだ。
三度、周りにきりが出てきた。真っ白で何も見えない。
きりが晴れると、となりでは蓮がまだ目を閉じて一生懸命に願い事をしていた。
次の日、昨日と同じように蓮の自慢のバイクに乗ってベレンは諏訪大社上社に向かった。
まだ少し怖いものの、バイクのスピード感にも慣れてきて蓮の話に耳を傾ける余裕もあった。
「…で、昨日の続きなんだけど!」
蓮が楽しそうに話し出す。
「これから行く上社前宮は、他の三社とは少し違った趣をもつ神社なの」
「違う?」
「うーん、説明が少し複雑になるんだけど、そうね、ざっくり言うと、諏訪信仰の始まりの場所、なのよ。それに、神社の造りもちょっと独特で…まあ見た方が早いかもね」
景色とスピードを楽しみながら、二人は諏訪大社上社の一つ、前宮に向かった。
上社前宮は民宿から7kmほど南に下った、山の中腹にある神社だ。国道沿いの大鳥居から拝殿まで、二人は歩くことにした。
地図アプリを見ながらベレンが言う。
「拝殿は少し遠いのですね。それに、鳥居をくぐった先も境内というよりは普通の集落のような感じです」
「そうね、上社前宮は少し変わった造りなの。普通は境内にまとめられている鳥居や手水所、社務所も集落と入り組みながら配置されているのよ」
大鳥居や社務所をくぐった時にはもう神社の境内に入ったかと思ったが、その先ではまた民家が連なっている。神社の境内に集落があるかのような、集落が神社そのものかのような、不思議に錯覚させる造りになっていた。
「ここは諏訪信仰発祥の地と言われているのよ。ミシャグジ、と呼ばれる古代の信仰とも関連があると言われていて、諏訪大社の中で最も古い社なの」
「古く、とは、どのくらいですか?」
「それはよくわからないの。でも、少なくとも7世紀には諏訪は全国的な崇拝を集めていたとされているから、それよりはずっと前からあるのでしょうね」
「それは…気の遠くなるような昔ですね」
「前宮が集落と入り混じっているのは、当時の人々にとって神様や信仰がずっと身近なものだったことの現れかもしれないね」
蓮が誰に言うでもなく呟いた。
「着いた!ここが前宮の拝殿よ」
「思ったよりも、その、こじんまりとしていますね」
ベレンは慎重に言葉を選びながら言った。
小さいわけではないが、昨日の春宮や秋宮に比べると装飾も少なくやや地味な印象だ。
「まあ、地味でぱっとしないわね。それは仕方ないわ。ここは諏訪信仰発祥の地だけれど、上社本宮よりは序列としても落ちるものなの。下社の春宮、秋宮は同格の社だけど、上社は本宮と前宮で格の差があるのよ。でも、諏訪信仰発祥の地ということもあって地域の人々にはすごく大切にされているのがわかるでしょう?これは遥か昔に諏訪信仰が始まったころから連綿と受け継がれてきたものなの。それを知ってほしくて連れてきたのよ」
二人は太古から続く諏訪信仰と当時の人々に想いを馳せながら、静かに参拝を済ませた。
「次は?どこに向かいますか?」
駐車場でホットコーヒーの缶を開けながらベレンが尋ねる。
立ち昇る湯気の向こう側で蓮がにっこりと笑った。
「決まっているでしょ?次はお待ちかね、上社本宮よ。ここから2kmくらいの距離なの。と、その前に…」
そこまで言いかけて、蓮とベレンのお腹から「ぐぅ…」と音が鳴った。
恥ずかしそうに蓮が頭を掻く。
「…言いたいことはわかるわね。お昼ご飯食べましょう!何か食べたいものはある?」
「そうですね…おすすめのお店とか、ありますか?」
「『勝味庵』は私がこのあたりで一番美味しいと思うお店。大学生にとっては少しだけいい値段するけど…でも、味は最高!間違いないわ」
二人は蓮がおすすめするとんかつ屋に向かった。
店につき、暖簾をくぐって席に通されると、蓮が手際よく注文する。
しばらくして出てきたとんかつはサクサクで分厚くて、一口ごとに幸せを頬張っているようだった。
「美味しい!」
「でしょ~!」
そういう蓮も嬉しそうに箸を動かし、みそ汁をすする。
「寒い日に暖かい汁物を飲むとほっとするよね~しっかり食べて、体温めてから本宮に向かいましょう」
「そうですね」
二人はみそ汁とご飯をお代わりして(勝味庵はお代わりが無料なのだ!)、再びバイクに跨った。
「着いた!ここが四社ある諏訪大社の最後の一つにして全国一万以上の諏訪神社の総本社、上社本宮よ!」
それは守屋山の山麓に位置し、森と一続きになったかのような広大な神社だった。
「上社本宮は太古から残る守屋山の原生林に包まれるように建てられているの。守屋山は山そのものがご神体とされているのよ」
「山がご神体…壮大な話ですね」
「そうね。じゃ、参拝しに行きましょう」
大鳥居をくぐり、石畳の参道を歩く。参道もその先の石段も今までの三社よりも大きくて立派なものだ。
石段を上ると勅使門に突き当たる。
「ええと、参拝路は右ね」
そのまま道順通りに進むと、宝物殿や参拝所がある開けた場所にたどり着いた。
ぐるりと森に囲まれていて、まさに森の中の神社といった様相だ。
蓮もベレンも口数少なくなり、無言のまま一番奥の参拝所に辿り着いた。
蓮がごまかすように呟く。
「…ここに来ると、なんだか畏れ多いような気分になって黙っちゃうのよね」
「ちょっとだけ、わかります。神秘的?というのでしょうか」
「そう。なんだか、他の神社とは違うっていうか…うまく言葉にできないけれど。でも、今日はガイドで来たから説明するね。ここで祀られているのはタケミナカタノ神。軍神であり、狩猟・耕作の守護神であり、風・水を司る龍神でもあるの。かつては出雲、今の島根県にいたのだけれど、訳あってこちらに移ってきて、下社のヤサカトメノ神と結ばれたのよ」
参拝所からは大きく精緻な造りの幣拝殿が正面から見える。
幣拝殿は手前に二つの灯篭が立ち、金の細工が施され、左右にも拝殿を備えていた。広間を囲うように建てられた拝殿は、今までの三社にない煌びやかで荘厳な趣を感じさせた。
「ここは、戦国時代に戦火で神輿を除いて一度焼失し、江戸時代に再建されたの。焼失する前は極彩色で彩られていたと言われているのよ」
今までの三社とは少し違う雰囲気に包まれた本宮で、二人は静かに参拝した。
(そうだ、手紙!)
目を閉じて参拝していたベレンは、託された手紙のことを思い出した。慌てて取り出して参拝所の脇にそっと置いた。
「…?」
そこで、隣にいたはずの蓮がいないことに気づく。
「蓮…?」
蓮だけではない。先ほどまで境内にいたはずの数人の参拝客が誰もいない。
辺りには霧が立ち込めていた。と、霧の中から声がする。
『下社からの遣いか?』
突風が吹いて手紙は霧の中、幣拝殿の方へと吸い込まれていく。
「あ…!」
『ふふ、あやつからの手紙、確かに受け取った。異国の娘よ、大変ご苦労だったね』
霧が晴れる。
幣拝殿の前には、一匹の大きな白い龍がたたずんでいた。
長い髭と顎の下の逆鱗、美しい鱗と青い眼を備えている。
「……!」
驚きのあまり言葉が出ないベレンの前で、龍は低い声で話し続ける。一言発する度に周囲の空気が震えるのが判った。
『私はタケミナカタノ神。諏訪の主祭神だ。この度は妻の我儘に振り回してすまなかったな』
固まったままのベレンを見て、龍はふと気づいた様に苦笑する。
『この姿では驚かせてしまったか。これなら良いかな?』
再び霧が立ち込めたかと思うと、その中から背の高い若い男の人が出てきた。青い浴衣を着ている。右手には手紙が握られていた。
「まあ、そういうわけだ」
ニコニコと笑っている。
ベレンはようやく言葉を絞り出した。
「…えっと、か、神様、なのですか?」
「いかにも。自分で言うと照れるがね」
「下社で出会った浴衣姿の女の人、の、彼氏さん?」
「うん、彼女は私の妻、ヤサカトメノ神だな」
もはや何が何だか、何から聞いたらいいのかわからない。
「…手紙には、なんて書かれていたのですか?」
(うわ!失敗した!)
訊いてから、ベレンは激しく後悔した。どう考えても神様に訊くことではない。混乱していたのだ。
「ふふ、最初に訊くことがそれか」
彼は静かに笑った後、答えた。
「まあ、なんだ、『逢いたい』みたいな内容だ」
言ってから少しだけ赤面している。頬を掻き、そのまま独り言のように呟く。
「確かにここ最近は逢えていなかったからなあ…暫く顔を出さなかったらちょっとだけ会うのが恥ずかしくなっていたのだ。ほら、何というか……やっぱり、逢いに行った方がいいかな?」
私に訊かれても…そう思いながらも、人間じみた仕草にベレンは少しだけ緊張がほどけた。
「それは、逢いに行ってあげた方がいいと思います。彼女さん、寂しがっていましたよ」
「そうだよなあ…うん、やはり今年は逢いに行ってくる。異国の娘よ、色々と世話になったね」
タケミナカタノ神を名乗る彼は、少しはにかんで笑った。
神様の背中を押すことになろうとは…現実なのか夢なのか、まだよくわからないままだ。
三度、辺りに霧が立ち込めた。真っ白で何も見えない。
霧が晴れると、隣では蓮がまだ目を瞑って一生懸命に願い事をしていた。
まだ少し怖いものの、バイクのスピード感にも慣れてきて蓮の話に耳を傾ける余裕もあった。
「…で、昨日の続きなんだけど!」
蓮が楽しそうに話し出す。
「これから行く上社前宮は、他の三社とは少し違った趣をもつ神社なの」
「違う?」
「うーん、説明が少し複雑になるんだけど、そうね、ざっくり言うと、諏訪信仰の始まりの場所、なのよ。それに、神社の造りもちょっと独特で…まあ見た方が早いかもね」
景色とスピードを楽しみながら、二人は諏訪大社上社の一つ、前宮に向かった。
上社前宮は民宿から7kmほど南に下った、山の中腹にある神社だ。国道沿いの大鳥居から拝殿まで、二人は歩くことにした。
地図アプリを見ながらベレンが言う。
「拝殿は少し遠いのですね。それに、鳥居をくぐった先も境内というよりは普通の集落のような感じです」
「そうね、上社前宮は少し変わった造りなの。普通は境内にまとめられている鳥居や手水所、社務所も集落と入り組みながら配置されているのよ」
大鳥居や社務所をくぐった時にはもう神社の境内に入ったかと思ったが、その先ではまた民家が連なっている。神社の境内に集落があるかのような、集落が神社そのものかのような、不思議に錯覚させる造りになっていた。
「ここは諏訪信仰発祥の地と言われているのよ。ミシャグジ、と呼ばれる古代の信仰とも関連があると言われていて、諏訪大社の中で最も古い社なの」
「古く、とは、どのくらいですか?」
「それはよくわからないの。でも、少なくとも7世紀には諏訪は全国的な崇拝を集めていたとされているから、それよりはずっと前からあるのでしょうね」
「それは…気の遠くなるような昔ですね」
「前宮が集落と入り混じっているのは、当時の人々にとって神様や信仰がずっと身近なものだったことの現れかもしれないね」
蓮が誰に言うでもなく呟いた。
「着いた!ここが前宮の拝殿よ」
「思ったよりも、その、こじんまりとしていますね」
ベレンは慎重に言葉を選びながら言った。
小さいわけではないが、昨日の春宮や秋宮に比べると装飾も少なくやや地味な印象だ。
「まあ、地味でぱっとしないわね。それは仕方ないわ。ここは諏訪信仰発祥の地だけれど、上社本宮よりは序列としても落ちるものなの。下社の春宮、秋宮は同格の社だけど、上社は本宮と前宮で格の差があるのよ。でも、諏訪信仰発祥の地ということもあって地域の人々にはすごく大切にされているのがわかるでしょう?これは遥か昔に諏訪信仰が始まったころから連綿と受け継がれてきたものなの。それを知ってほしくて連れてきたのよ」
二人は太古から続く諏訪信仰と当時の人々に想いを馳せながら、静かに参拝を済ませた。
「次は?どこに向かいますか?」
駐車場でホットコーヒーの缶を開けながらベレンが尋ねる。
立ち昇る湯気の向こう側で蓮がにっこりと笑った。
「決まっているでしょ?次はお待ちかね、上社本宮よ。ここから2kmくらいの距離なの。と、その前に…」
そこまで言いかけて、蓮とベレンのお腹から「ぐぅ…」と音が鳴った。
恥ずかしそうに蓮が頭を掻く。
「…言いたいことはわかるわね。お昼ご飯食べましょう!何か食べたいものはある?」
「そうですね…おすすめのお店とか、ありますか?」
「『勝味庵』は私がこのあたりで一番美味しいと思うお店。大学生にとっては少しだけいい値段するけど…でも、味は最高!間違いないわ」
二人は蓮がおすすめするとんかつ屋に向かった。
店につき、暖簾をくぐって席に通されると、蓮が手際よく注文する。
しばらくして出てきたとんかつはサクサクで分厚くて、一口ごとに幸せを頬張っているようだった。
「美味しい!」
「でしょ~!」
そういう蓮も嬉しそうに箸を動かし、みそ汁をすする。
「寒い日に暖かい汁物を飲むとほっとするよね~しっかり食べて、体温めてから本宮に向かいましょう」
「そうですね」
二人はみそ汁とご飯をお代わりして(勝味庵はお代わりが無料なのだ!)、再びバイクに跨った。
「着いた!ここが四社ある諏訪大社の最後の一つにして全国一万以上の諏訪神社の総本社、上社本宮よ!」
それは守屋山の山麓に位置し、森と一続きになったかのような広大な神社だった。
「上社本宮は太古から残る守屋山の原生林に包まれるように建てられているの。守屋山は山そのものがご神体とされているのよ」
「山がご神体…壮大な話ですね」
「そうね。じゃ、参拝しに行きましょう」
大鳥居をくぐり、石畳の参道を歩く。参道もその先の石段も今までの三社よりも大きくて立派なものだ。
石段を上ると勅使門に突き当たる。
「ええと、参拝路は右ね」
そのまま道順通りに進むと、宝物殿や参拝所がある開けた場所にたどり着いた。
ぐるりと森に囲まれていて、まさに森の中の神社といった様相だ。
蓮もベレンも口数少なくなり、無言のまま一番奥の参拝所に辿り着いた。
蓮がごまかすように呟く。
「…ここに来ると、なんだか畏れ多いような気分になって黙っちゃうのよね」
「ちょっとだけ、わかります。神秘的?というのでしょうか」
「そう。なんだか、他の神社とは違うっていうか…うまく言葉にできないけれど。でも、今日はガイドで来たから説明するね。ここで祀られているのはタケミナカタノ神。軍神であり、狩猟・耕作の守護神であり、風・水を司る龍神でもあるの。かつては出雲、今の島根県にいたのだけれど、訳あってこちらに移ってきて、下社のヤサカトメノ神と結ばれたのよ」
参拝所からは大きく精緻な造りの幣拝殿が正面から見える。
幣拝殿は手前に二つの灯篭が立ち、金の細工が施され、左右にも拝殿を備えていた。広間を囲うように建てられた拝殿は、今までの三社にない煌びやかで荘厳な趣を感じさせた。
「ここは、戦国時代に戦火で神輿を除いて一度焼失し、江戸時代に再建されたの。焼失する前は極彩色で彩られていたと言われているのよ」
今までの三社とは少し違う雰囲気に包まれた本宮で、二人は静かに参拝した。
(そうだ、手紙!)
目を閉じて参拝していたベレンは、託された手紙のことを思い出した。慌てて取り出して参拝所の脇にそっと置いた。
「…?」
そこで、隣にいたはずの蓮がいないことに気づく。
「蓮…?」
蓮だけではない。先ほどまで境内にいたはずの数人の参拝客が誰もいない。
辺りには霧が立ち込めていた。と、霧の中から声がする。
『下社からの遣いか?』
突風が吹いて手紙は霧の中、幣拝殿の方へと吸い込まれていく。
「あ…!」
『ふふ、あやつからの手紙、確かに受け取った。異国の娘よ、大変ご苦労だったね』
霧が晴れる。
幣拝殿の前には、一匹の大きな白い龍がたたずんでいた。
長い髭と顎の下の逆鱗、美しい鱗と青い眼を備えている。
「……!」
驚きのあまり言葉が出ないベレンの前で、龍は低い声で話し続ける。一言発する度に周囲の空気が震えるのが判った。
『私はタケミナカタノ神。諏訪の主祭神だ。この度は妻の我儘に振り回してすまなかったな』
固まったままのベレンを見て、龍はふと気づいた様に苦笑する。
『この姿では驚かせてしまったか。これなら良いかな?』
再び霧が立ち込めたかと思うと、その中から背の高い若い男の人が出てきた。青い浴衣を着ている。右手には手紙が握られていた。
「まあ、そういうわけだ」
ニコニコと笑っている。
ベレンはようやく言葉を絞り出した。
「…えっと、か、神様、なのですか?」
「いかにも。自分で言うと照れるがね」
「下社で出会った浴衣姿の女の人、の、彼氏さん?」
「うん、彼女は私の妻、ヤサカトメノ神だな」
もはや何が何だか、何から聞いたらいいのかわからない。
「…手紙には、なんて書かれていたのですか?」
(うわ!失敗した!)
訊いてから、ベレンは激しく後悔した。どう考えても神様に訊くことではない。混乱していたのだ。
「ふふ、最初に訊くことがそれか」
彼は静かに笑った後、答えた。
「まあ、なんだ、『逢いたい』みたいな内容だ」
言ってから少しだけ赤面している。頬を掻き、そのまま独り言のように呟く。
「確かにここ最近は逢えていなかったからなあ…暫く顔を出さなかったらちょっとだけ会うのが恥ずかしくなっていたのだ。ほら、何というか……やっぱり、逢いに行った方がいいかな?」
私に訊かれても…そう思いながらも、人間じみた仕草にベレンは少しだけ緊張がほどけた。
「それは、逢いに行ってあげた方がいいと思います。彼女さん、寂しがっていましたよ」
「そうだよなあ…うん、やはり今年は逢いに行ってくる。異国の娘よ、色々と世話になったね」
タケミナカタノ神を名乗る彼は、少しはにかんで笑った。
神様の背中を押すことになろうとは…現実なのか夢なのか、まだよくわからないままだ。
三度、辺りに霧が立ち込めた。真っ白で何も見えない。
霧が晴れると、隣では蓮がまだ目を瞑って一生懸命に願い事をしていた。