「もうがっかりだわ！」
　「こんなまずいコーヒーは初めてだ！もう最低！」
　「も、申し訳ございません！」
　「もういいわ、あんたと話し合う気はない！店長を呼んで！」


　一時間前。

　日々が過ぎ去り、ベレンは夏休みを迎えた。
　オーナーからコーヒーを淹れるのを任されてからもうしばらくが経っていた。

　手挽きでコーヒーを入れる際、豆の焙煎具合や保存状態はもちろん、淹れる者の手さばきによっても風味は大きく異なってくる。ベレンはまだ新米の域を出ず、現在のところ主に豆の挽きや抽出の下準備を担当していた。

　「どう？ここの仕事、もう慣れてきた？」
　アカリは手を動かしながらも、ベレンに尋ねた。
　「ええ、なんとか。ただ…」
　ベレンは小さな声で答えた。
　「ただ？」
　「もっと早くコーヒーを淹れるの、任されたかったなって。」
　ベレンははにかみながら打ち明けた。
　「ふふっ」
　アカリは小さく笑みを零した。
　「じゃあ、今日は挑戦してみる？」
　「本当ですか？」
　ベレンは手を止め、アカリを見つめ返した。
　「オーナーも言ってたでしょ？ベレンのスキル評価は私に一任されてるんだから。私がOKを出せば、いつでも任せられるってね！」
　「私も、ベレンが手伝ってくれると助かるしさ。一人じゃ大変なんだよ。」

　「じゃ私、もうコーヒーを淹れるのを任されてもいいんでしょうか？」
　ベレンは慎重に切り出した。
　「ふむ…」
　アカリは意味ありげに体を向け直し、手を背中に組んで考え込むふりをした。
　「私が思うに…」
　「アカリが思うに…？」
　ベレンはもう待ちきれない様子だった。
　「ふふっ、もうアリだと思うよ！」
　アカリは突然振り返り、頰を緩ませて言い放った。
　「もう！またからかうんだね！」
　そう言ったものの、ベレンの心は喜びに満ちていた。
　「さて！開店前に練習しといて。私しっかり見てるからね。」
　アカリはとぼけた表情から一転、渋い顔つきになった。
　「はいはい！アカリ先輩！」
　「ふふん。」


　午後になるとお客の数が増えてきた。
　ベレンの淹れたコーヒーはアカリに承認され、ようやく正式にコーヒーを淹れる作業を任された。

　「お待たせしました。ブルーマウンテンコーヒーでございます。」
　ベレンがお客様へ提供するベレンの第一杯。気に入ってもらえるだろうか。
　ベレンは客の表情を伺った。

　「ふむ、美味しい。」
　「ありがとうございます！」
　満足げな様子に、ベレンはほっと胸を撫で下ろした。
　よし、もっと頑張ろう！
　ベレンは小さく拳を握り直した。
　一杯目は無事に淹れることができた。これで自信がついた。次の数杯も緊張せずに淹れられた。

　あっという間に夕日が沈み、閉店時間が近づいてきた。
　客の数も徐々に減っていった。

　「はぁ～疲れた。」
　アカリは物陰でぐったりとした様子で伸びをした。
　「今日はベレンが手伝ってくれて助かったよ。一人じゃきっと手が回らなかった。」

　「リンリン」
　玄関の風鈴が軽やかに鳴り響いた。
　客が店に入ってきたようだ。
　「いらっしゃいませ!」
　二人は素早く応対した。

　「あら、前田様、おひさしぶりです！」
　来店された人に気づくと、アカリは早速挨拶をした。
　前田様？常連のお客様なのかしら？今まで見たことがない顔だが。
　ベレンはアカリの反応を見て、首を傾げていた。

　「こんにちは。いつものもので。」
　その人は頭すら向けず、ひとりでに窓際の席へと足を運び、腰を下ろした。
　「かしこまりました！少々お待ちください！」

　「あのお客さん、知っている人なの？」
　アカリが慌ただしく動き回るのを見て、ベレンは思わず尋ねた。
　「ああ、あの方は前田様ね。いつもお世話になってるのよ。しばらく来られなかったんだけど。」
　「なるほど…」
　ベレンがさらに質問しようとすると、アカリは急いで口を挟んだ。
　「質問は後にして。とにかく急がないと。前田様を待たせたらダメなの！」
　ベレンがその理由を問いかけようとしたとき、店主が現れた。
　「アカリ、ちょっといいかな？」
　「店長？」
　「前田様のコーヒーはベレンに任せよう。」
　いつものように優しい笑みを浮かべながら、店主は言った。
　「え？でも…」
　「大丈夫、ベレンにやらせて。」
　アカリはベレンを見て、何か言いにくいことでもあるような表情をした。
　「分かりました…」
　「ベレン、自信はあるよね？」
　店主の視線がベレンに注がれた。
　一体どうしたんだろう？みんな妙な反応をする。
　ベレンは疑問を抱えていたが、力強く頷いた。
　「はい！任せてください！」
　「うん。では、ゲイシャコーヒーを入れてくれ。」
　「その独特の風味を最大限に引き出すんだ。」
　「はい！」

　「お待たせいたしました。ゲイシャコーヒーでございます。」
　「あなたは誰？」
　予期せぬ質問が飛んできた。
　「べ、ベレンと申します。」
　ベレンはやや緊張しながらも、笑顔で答えた。
　「ふん、新人か？見覚えがない顔ね。」
　「このコーヒー、あなたが入れたの？」
　「そうです。ご満足いただけると幸いです。」
　「ふーん、味わってみよう。」

　まずは香りを嗅いだ。
　「ふむ、香りは悪くないね。」
　そして、そっと一口啜った。
　「む？」
　眉根が寄せられた。

　「どうしよう、こりゃまずいわ！」
　カウンターで二人の様子を見守っていたアカリも、思わず心配そうな表情になる。
　「落ち着きなさい。ベレンがどう切り抜けるか、見ていなさい。」
　オーナーは相変わらずの落ち着いた様子だった。

　向こうがなかなか何も言わないので、ベレンも徐々に緊張が高まってきた。
　もしかしてコーヒーの味に何か問題があったのだろうか？
　「いかがでしたでしょうか？」
　ベレンは慎重に尋ねた。
　すると、前田はその沈黙を力強く砕いた。
　「まずい。」
　「え？…」
　「まずいわ。」
　「こんなにまずいコーヒーを出されたなんて初めてだわ！」