Coming soon!
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エマはイギリスから来た留学生です。今、日本の三本木(さんぼんぎ)大学で日本の歴史を勉強しています。石川先生の研究室に入っています。石川先生は歴史と文化を研究しています。石川先生の先生は山本博士(はかせ)という歴史学者で、とくに平安(へいあん)時代(794年~1185年)から鎌倉(かまくら)時代(1185年~1333年)の専門家です。
子供の時、エマは日本のアニメで「サムライ」や「ニンジャ」を見ました。イギリスでは見たことがない人たちでした。どうしてかみの毛がピストルのような形なんだろう、どうして急に消えることができるんだろう、と、とてもふしぎでおもしろいと思いました。それがきっかけで、日本の歴史にきょうみを持つようになりました。
エマは今、東京の浅草(あさくさ)の近くに住んでいます。休みの日は、浅草をさんぽするのが好きです。浅草には新しいものも古いものもあります。新しい橋(はし)やビルなどもあります。近くに東京スカイツリーもあります。浅草寺(せんそうじ)という古いお寺や神社(じんじゃ)もあります。浅草寺の前には、赤くて大きい門があります。雷門(かみなりもん)という門です。エマは、その門をとおって浅草寺に行くまでの道が大好きです。右にも左にもお店がならんでいます。みんな古いイメージのお店です。日本人は、ここが江戸(えど)時代(1603年~1867年)のようだと言います。いつも人が多くてにぎやかです。エマもそんな古くても楽しいイメージが気に入っていました。
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エマは、江戸時代も好きですが、それより古い時代にもきょうみがあります。たとえば、平安(へいあん)時代や鎌倉(かまくら)時代です。この時代について、エマは石川先生からいろいろな話を聞いて勉強しました。石川先生は山本博士から聞いたそうです。
平安時代は京都に都(みやこ)があった時代です。都とは日本の中心都市である首都(しゅと)のことです。貴族(きぞく)が日本の国をおさめていました。力を持っていたのは、平氏(へいし)と言われる家族です。この時代の文化は、とても上品(じょうひん)できれいだと言われています。
鎌倉時代は、鎌倉が日本の中心になって、武士(ぶし)が日本の国をおさめていました。ですから、文化も力強いものになりました。
平安時代の終わりに、武士の源頼朝(みなもとのよりとも)は平氏とたたかってかちました。そして、中心都市を京都から鎌倉にうつして、幕府(ばくふ)をひらきました。幕府とは今の政府のことです。こうして、鎌倉時代が始まりました。
源頼朝とその家族は源氏(げんじ)と言われています。源氏は、今の山口県にある壇ノ浦(だんのうら)で平氏とたたかいました。壇ノ浦は海です。ですから、源氏と平家はふねにのってたたかいました。その時、平氏は天皇(てんのう)といっしょでした。天皇はまだ小さい子どもでした。それから、平氏は三種の神器(さんしゅのじんぎ)も持っていました。三種の神器とは、鏡(かがみ)、剣(つるぎ)、玉(たま)のことで、それまでの天皇が伝えてきたとても大切なものです。これを持っている天皇は、本物の天皇なのです。平氏には、天皇がいて三種の神器もあったので、とても強い力がありました。ですから、源氏は、天皇と三種の神器が本当にほしかったです。それで、いっしょうけんめいたたかいました。源頼朝の弟の義経(よしつね)もいっしょにたたかいました。義経はたたかうのがじょうずでしたから、つぎつぎに平家の武士をたおしました。とてもつよかったです。
まけると思った平氏は、源氏に天皇と三種の神器をわたしたくありませんでした。平氏の大将(たいしょう)――リーダーのことですが――のおくさんは天皇と三種の神器(さんしゅのじんぎ)をだいて、海にとびこみました。天皇は海にうかんできませんでした。三種の神器の中で、鏡(かがみ)と玉(たま)は木のはこに入っていたので、うかんできました。源氏はそれをもらうことができました。けれども、剣(つるぎ)は重かったからかもしれませんが、うかんできませんでした。源氏も天皇の家族もいっしょうけんめいさがしましたが、とうとう見つかりませんでした。
源氏が鎌倉(かまくら)に幕府(ばくふ)を開く少し前に、天皇は、新しい天皇になりました。その時、三種の神器の剣はありませんでした。それでは困るので、あとで、伊勢神宮(いせじんぐう)という古くて大きい神社の剣を三種の神器にしたそうです。
では、源氏はそれからどうなったのでしょうか。義経(よしつね)は平氏をたお
した時がんばりました。それで、天皇家――天皇の家のことです――から高い位(くらい)をもらいました。けれども、兄の源頼朝(みなもとのよりとも)はそれを知りませんでした。それに、義経は天皇を助けることができませんでした。それで、頼朝はとてもおこって、義経をたおそうとしました。義経は東北地方ににげました。それでも頼朝がおいかけてきたので、とうとう平泉(ひらいずみ)というところで自害(じがい)したと言われています。
平氏について書かれた本には、つぎのようなことばがあります。
●「平家にあらずんば人にあらず」
平氏でない人は、人ではない、という意味です。平氏が力を持っていた時代(じだい)のことばです。
●「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘(かね)の声(こえ)、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響(ひび)きあり」
祇園精舎というお寺のかねの音はいつも変化している、つまり、この世の中のすべてのものはいつも変わっていく、という意味のことばです。
エマは、源氏と平氏のたたかいや、頼朝と義経の関係(かんけい)について知って、人がいろいろなたたかいの歴史を作ってきたことをあらためて感じました。そして、平氏について書かれた本のことばについてかんがえました。時間がたてばどんなことでも変わっていくことは、いつもの生活からもわかります。けれども、歴史からもたしかにあじわえるとふかく感じました。